五代目修業中[BLOG]
幼い頃から、3代目4代目の仕事を肌で感じて来ました。
新米5代目として『意志固し(石硬し)』を貫きます!
またまた久しぶりの更新となってしまいました。
先日、当店が加盟しております埼玉県石材業協会の総会が行われ、その後講演会があり参加してきました。
とても参考になる話でしたのでご紹介致します。
演題は「墓と日本の精神文化」という内容です。
その中で自分が気になったことは、
「凡そひとは、墓より起こる。墓は家の根である。 墓⇒家⇒人」
「痩せた南瓜。南瓜を大きくするには、根に肥、運の開けぬ人は、自分の根に施肥」
という言葉でした。
木に例えるならば、根=墓、幹=家、実=人というイメージだそうです。
講師の方のようにうまくは説明できませんが、簡単に説明してしてしますと、
普段の生活においてうまくいかないことなどがあれば一度お墓参りをしてみましましょうということです。
講師の方の話ではこのような状況の人は、しばらくお墓参りには行っていない人が多いとのことでした。
改めてお墓参りの大切さを学んだ講演会でした。
※今回は写真を撮るのを忘れてしまいました。すみません。
先月末に神奈川県にあります「大雄山最乗寺」に参拝してまいりましたのでご紹介いたします。
はじめに大雄山最乗寺について簡単にご説明いたします。
曹洞宗に属し全国に四千余りの門流をもつ寺であり、ご本尊は釈迦牟尼仏、脇侍仏として文殊、普賢の両菩薩を奉安し、日夜国土安穏万民富楽を祈ると共に、真人打出の修行専門道場である。開創以来六百年の歴史をもつ関東の霊場として知られ、境内山林一三〇町歩、老杉茂り霊気は満山に漲り、堂塔は三十余棟に及びます。
慶永元年(1394年)了庵慧明禅師(りょうあんえみょうぜんじ)により開山されました。
大雄山最乗寺の守護、道了尊(道了大薩埵)(どうりょうそん(どうりょうだいさつた))は「以後山中にあって大雄山を護り多くの人々を利済する」と五大誓願文を唱え天狗の姿に変え、火焔を背負い右手に拄杖左手に綱を持ち白狐の背に立って、天地鳴動して山中に身をかくされたと言い伝えられています。
はじめに大雄山最乗寺について簡単にご説明いたします。
曹洞宗に属し全国に四千余りの門流をもつ寺であり、ご本尊は釈迦牟尼仏、脇侍仏として文殊、普賢の両菩薩を奉安し、日夜国土安穏万民富楽を祈ると共に、真人打出の修行専門道場である。開創以来六百年の歴史をもつ関東の霊場として知られ、境内山林一三〇町歩、老杉茂り霊気は満山に漲り、堂塔は三十余棟に及びます。
慶永元年(1394年)了庵慧明禅師(りょうあんえみょうぜんじ)により開山されました。
大雄山最乗寺の守護、道了尊(道了大薩埵)(どうりょうそん(どうりょうだいさつた))は「以後山中にあって大雄山を護り多くの人々を利済する」と五大誓願文を唱え天狗の姿に変え、火焔を背負い右手に拄杖左手に綱を持ち白狐の背に立って、天地鳴動して山中に身をかくされたと言い伝えられています。
参拝にお邪魔した時は生憎のお天気でしたが、そのおかげでより紅葉がキレイに見えるような気がしました。
最後の写真は「金剛水」というお水です。頂くことができました。
最後の写真は「金剛水」というお水です。頂くことができました。
東日本大震災から早いもので3年の月日が経ちました。
震災で亡くなられた方々のご冥福お祈りいたします。
今までなかなかボランティア活動に参加することができませんでした。
そんな中、自分が所属する埼玉県石材業協会青年部の事業におきまして、「祈りの杜」慰霊公園工事のボランティアの話があがり、石屋として復興の一部として何かお手伝いできることはないのかと考えたこともありましたので、参加させて頂きました。
工事に携わったのは昨年の9月のことです。
場所は、宮城県石巻市門脇町西光寺さんの敷地において施工して参りました。
上の写真が工事の様子です。
震災直後はお墓にも瓦礫が積みあがっていたそうです。
この写真は、先ほどの写真から海側を見た状態です。
雑草が生えているところには家が建ち並んでいたとのことです。
また、びっくりしてしまったのは後ろに見える橋の一番高いところまで津波がきたと聞きました。
報道等で見るのとは違い、実際にその場で立ってみると改めて津波の恐ろしさを肌で感じました。
震災で亡くなられた方々のご冥福お祈りいたします。
今までなかなかボランティア活動に参加することができませんでした。
そんな中、自分が所属する埼玉県石材業協会青年部の事業におきまして、「祈りの杜」慰霊公園工事のボランティアの話があがり、石屋として復興の一部として何かお手伝いできることはないのかと考えたこともありましたので、参加させて頂きました。
工事に携わったのは昨年の9月のことです。
場所は、宮城県石巻市門脇町西光寺さんの敷地において施工して参りました。
上の写真が工事の様子です。
震災直後はお墓にも瓦礫が積みあがっていたそうです。
この写真は、先ほどの写真から海側を見た状態です。
雑草が生えているところには家が建ち並んでいたとのことです。
また、びっくりしてしまったのは後ろに見える橋の一番高いところまで津波がきたと聞きました。
報道等で見るのとは違い、実際にその場で立ってみると改めて津波の恐ろしさを肌で感じました。
今回は都合で完成まで携わることができませんでした。
後日、完成した慰霊公園に伺い手を合わせてこようと思っています。
今回の慰霊公園ボランティア工事に参加し、被災した方々の少しでもお役にたてたのならば幸いです。
また、自分にとってもとても貴重な経験となりました。
後日、完成した慰霊公園に伺い手を合わせてこようと思っています。
今回の慰霊公園ボランティア工事に参加し、被災した方々の少しでもお役にたてたのならば幸いです。
また、自分にとってもとても貴重な経験となりました。